世の中ね、顔かお金かなのよ!

ブログタイトルはこんな(回文)ですが、恋愛や人生の指南はしません(できません)。砺波湊の短歌メインなブログです。

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(……といっても2009年の、です。もう7か月くらい前・汗)

「父母を詠む」という課題で、原稿用紙14枚ほど文章を書いてみました。

ちょうど一昨年は家族とか親子とかについて考えていたり本を読んでいたので
(別に個人的なトラブルがあったとかではなく・笑)
タイムリーかつラッキーな課題でした。
(抜き打ちテストがあったときにさっきまで開いていた教科書が丸ごと出た、的な。)

評論ってほどキチンとしたことは書けなかったけど、文章を書く、ってことに関する苦手意識を少ーし減らせたかな、とおもいます。

↓にその文を載せますね~。(めっさ今さらですが…)

エッセイ 「運命じゃない人たち」

どうぞー。

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「運命じゃない人たち」  砺波湊

母を詠った歌、と聞くとわたしがすぐに思い出すのは次の二つの短歌です。

  彼岸花咲ける間(あはひ)の道をゆく行き極まれば母に会ふらし

  亡母(はヽ)思ひつかれて庭に眼をやりぬ南天の実の赤かりにけり

季節が巡るたびに花を咲かせ、実をつける植物。
華やかではないけれど時折見せる鮮やかな色彩に刺激され、心の奥に眠っていた母への追憶が呼び覚まされたようです。
彼岸花の朱色や南天の実の赤さと死んだ母への思いの間の落差が、重く濃い徒労感をもってこちらに迫ります。

作者名を伏せると、死んだ母への態度や眼差しがよく似ていることに気づかされます。
実は「彼岸花」の歌は美智子皇后の、「南天の実」の歌は山崎方代の作です。

美智子皇后(旧名・正田美智子)は1934年東京市本郷区(現・東京都文京区)生まれ。祖父は日清製粉の創始者です。1957年、聖心女子大学の卒業時には総代として答辞を読み、同じ年の夏、軽井沢のテニスコートで当時皇太子だった明仁親王と出会います。1959年に結婚、そのパレードを見るために日本中でテレビの受信台数が急増したと言われています。
山崎方代は1914年、山梨県八代郡右左口村(現・中道町右左口)生まれ。1941年に召集を受け、南方を転戦する間に砲弾片を浴び右目を失明、左目も視力をほとんど失ってしまいます。帰還後は1950年に姉の嫁ぎ先、1965年に姉が没した後は加藤方、1972年には根岸方に転居。敷地内に建ててもらった小屋に暮らし、1985年に亡くなりました。
二人は性別も違い、年齢も二十歳の差があります。生まれも育ちも対称的で、母を失った時期も異なります。
正田富美子は1988年没(娘54歳)、山崎けさのは1937年没(息子23歳)。
それでも、残された子の母への思いはとてもよく似ています。ふいに沸き上がる悲しみと、やりきれなさは、両親が健在の読者にも伝わってきました。

2008年6月、東京・秋葉原で17人が一人の男に殺傷される事件が起きました。男の名前は加藤智大。その供述を新聞で読み、大きな驚きを覚えました。
「取り調べが自らの生い立ちや家族のことに及ぶと泣きながら「自分の置かれている境遇が本当に嫌だった」と打ち明け、「両親とはしばらく連絡を取っていない」と話している(略)「(親のいる)地元にいたくなかった」(略)同僚には「両親は離婚し、自分は住所不定みたいなもの」と話していた」(読売新聞2008年6月13日)
冒頭に挙げた母を詠った二首との違いに、戸惑いを覚えてしまいます。
あれは創作、これは現実だからでしょうか。時代や年齢の違いでしょうか。
親子関係が上手くいかない人はこれまでにもいたはずです。それにしても、何かがあまりにも違うようで、わたしは立ち竦むようにして考え込んでしまいます。

近年、家族や教育に関する著作の多い評論家、芹沢俊介は「ドクター・キリコ事件」と呼ばれるネットを介した毒物売買事件を「夫婦あるいは親子として同居しているのに、遠い存在、疎遠な存在になり、代わりにネットにおける通信相手が身近な存在に感じられるという逆転現象」と評しています。(『ついて行く父親―胎動する新しい家族』)
また、社会学者の大澤真幸は幾つかの少年犯罪を分析した上でこう述べています。「誰にとっても、家族は―選びようのない―必然として体験されるのだ。ところが(略)若者たちの奇妙な犯罪が示しているのは、家族関係の「偶有化」とでも呼ぶべき感覚である。(略)自らの与えられた家族が、必然とは感じられていない、ということである」(『不可能性の時代』)
「偶有化」とは他でもありえた、という意味です。生み、育ててくれた父母が他の誰かでもありえた、という感覚を持っているならば、彼岸花の列の先に母の姿を見たりしないでしょう。死んだ母について思いを巡らせたあとに目にした、南天の実の赤さを心に留めたりしないでしょう。
芹沢、大澤の二人の指摘はごく少数の特殊な状況かもしれません。しかし、同じ現代に生きる人々が詠む以上、短歌にもそのような兆しはあるでしょうか。最近の発表作や若い作者の作品からは、これまでと違ったものが見つかるのでしょうか。

まず、目にとまったのは架空の家族を描く、という方法です。

お父さんラッコの毛皮獲って来てよ水中をきりきりとくぐって (石川美南)
衣装箪笥ちらかしながらお母さん私そろそろ海へ行きたい
「水族」(作者ホームページより)

石川美南は1980年生まれ。この「水族」は魚介類や海をテーマにした一連です。
「マンボウと唇(くち)を合はせて朝焼けの美しさなど語り合ひおり」に見るような、想像の光景とも幻想世界とも呼べる歌と、「水槽の光はまるで間違って開けてしまった妹の部屋」のような過去の出来事を比喩としてフラッシュバックのように使うことで、目の前の水槽の光を異世界的に演出した歌が混在して配置され、独特のムードを感じさせます。
幻想や異世界などという言葉を使って説明してはみましたが、そこに描かれる人々の関係性が現実とリンクしていないというわけではありません。石川自身も「現実に見聞きしたものの面白さをできるだけ面白いまま短歌にまとめようとすると、結果的にフィクションとしてみられるものが出来上がって来る」と述べています。(「短歌研究」2008年7月号)
「水槽の」の一首はふいに覗いてしまった、不在だからこそそこに強く感じた「妹」という存在のまぶしさを伝えますし、先に挙げた父母への台詞を含む二首はワガママを放つことで万能に見えた頃の父、包み込んでくれる存在だった頃の母を強調して詠っているようです。
「胸びれの付け根の赤さ 弟も兄も密かに我を恋ふべし」という一首ともあわせて子供時代、特に少女が秘めているナルシスティックで残酷な気分を全体からも思い起こさせます。
この連作に限らずファンタジックな面のある石川の作品ですが、ファンタジーは現実を映す鏡となったり、社会を考えるきっかけとなることもあります。
たとえばJ.R.R.トールキンの『指輪物語』。初版刊行の1954年直後は物語に登場する悪の征服者、冥王サウロンはナチスドイツがモデルと言われ、ペーパーバック版が出版された1965年以降には東西冷戦構造(善の側に立つエルフたちの故郷は西方で、サウロンは東方を支配しています)や強大な力を与える「指輪」は核兵器の暗喩として読まれていきました。
当のトールキンは、物語が現代の寓意や諷刺と見られることを嫌ったそうですが、作者の思いとは別に、上質なファンタジーは現実へと混じっていく力を持っているようです。

ファンタジーとは少し違いますが、ある種の架空の家族を描く別の方法を見つけました。

 食堂車の窓いっぱいの富士山に驚くお父さん、お母さん、僕 (穂村弘)
穂村弘は1962年生まれ。この歌からはじまるのは30首連作「楽しい一日」です。(「短歌研究」2007年2月号)
題材となった作者の小学生時代(1970年代)にはほとんどの長距離列車に連結されていた食堂車は、現在では一部の夜行列車で見かけるのみになっています。
グレープフルーツ切断面に父さんは砂糖の雪を降らせていたり
70年代の空気をまとった一連。旅行の楽しみのひとつだった食堂車や特別なデザートだった頃のグレープフルーツが登場します。
子供時代を舞台に、子供の感じる驚きや違和感を大人の視点と技術で再構成しています。そこにいるのは、作者自身の少年時代をモデルとした、しかし四五歳としての目、思考も持つ主人公です。
青春の輝きを切り取ってきた印象の強い穂村弘が、なぜ最近は子供時代を舞台に選んでいるのでしょうか。
同じ一連の終わり近く(27首め)に現在の自分と父を描いた歌が登場します。

母のいない桜の季節父のため買う簡単な携帯電話

食堂車でともにはしゃいだ母を亡くし、中年となった主人公が初老に差し掛かった父の安全のためにお年寄りにも簡単、と宣伝される携帯電話を買いに行く姿です。
この一首は前半の父母の歌と比べると単なる報告のようで、手ざわりの悪さを感じてしまいます。現在の自分と父を描くとパサパサとした味気ないものになってしまうからこそ、ここでは子供時代を舞台とした歌を中心に構成しているのではないでしょうか。
作者の青春時代(80年代から90年代前半)にはすでに「(家族と)同居しているのに、遠い存在」と感じる現象、「家族関係の『偶有化』」は始まっていました。現在と地続きの青年時代を舞台とするのをやめ、穂村が新たな舞台としたのは家族で同じ夢を追っていた少年時代だったように思われます。


父母を詠う、また別の方法を考えてみます。
 蒲団より片手を出して苦しみを表現しておれば母に踏まれつ(花山周子)
作者の花山周子は1980年生まれ。この歌が収録された『屋上の人屋上の鳥』には約十年間の作品がまとめられています。
この歌の中に昔からの「母と娘」的な骨格は見えません。母にも青春時代があって自分と同じような苦しみを感じたのだろうか、とか自分もこの母のようになっていくのか、というような気持ちは読み取れません。
この歌にあるのは、偶然出会ったものどうしの取り合わせの面白さです。家の中で家族が通りかかり、忙しかったりうっかりしていたという理由でたまたま母がその手を踏んだのでしょう。この主人公の手を踏むのは姉や恋人でもいい、と思わせる偶然性を強く感じます。
振り向けば傘だけがある台風を見ようと母を連れ出しければ
台風が接近しているというので、主人公は暴風雨の様子を見ようと母を誘います。外に出てしばらく感心したあと振り向くと、視界に入ったのは傘だけ。母はずぶ濡れにならないよう、強風に折れ曲がらないようにと傘を前方に倒して差していたのです。
作者の母は、有名歌人であり、大抵の読者は母のほうの作品や作風をも重ねて読むために、台風の中連れ立されたのが「母」だと言われると興味を増すようです。しかし、この「母」は前に挙げた一首よりさらに偶然の取り合わせという感じがします。
たとえば「友」「彼」。振り向いた瞬間の驚きの質は変わりますが、主人公のなかに沸く感覚は「母」でなくても表現可能のように思えてしまいます。
傘しか見えないことで、背後の人物は自分ほど台風見物を楽しんでいないと気づきます。感じ方の違いを知ったことで沸く孤立感。二人を包む、距離感をわからなくする大音量の風雨。
それでも、ここで作者があえて「母」を選んだのは、主人公と母が別々の人間だということ、同じ家にいても別のことを考え別々に行動していることを再確認するためではないでしょうか。

坂井修一は「蒲団より」の歌を挙げ「花山周子には、自分も母親も相対化して観察する目があります」と語っています。(「短歌」2008年11月号)
そばにいて、よく似ていると思われる母と娘の行動も思考も別だということ。だからこそ接したら面白さを感じること。そんな姿勢を、わたしは彼女の歌から感じました。

父母との距離、互いの意識や感覚は揺らぎつつあるのかもしれません。(とは言っても結婚式での花嫁の手紙だとか、家族の絆をテーマにしたドラマなどに感動する人がまだ多くいるのも事実ですが。)そんな中、一番簡単で一番避けるべきことは、今までの父母のイメージを使って詠うこと、そして、自分のもつ父母のイメージと重ならない歌に出会ったときに昔からある図式に引き寄せて読んでしまうことだと思います。
家族関係が必然と感じられなくなるということは、父母とも友人とも、その関係はどれも等しく偶然になります。その状態は不安定ではありますが、翻ってそれゆえに誰と過ごすどの瞬間も大切に見つめ、詠うきっかけにもできると感じています。
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